第32軍司令部壕の保存・公開を求める会は沖縄戦の記憶を語り継ぎ、不戦の誓いを後世に伝えたいと願う市民が集い、発足しました。
第32軍は、沖縄戦に配置された日本軍で、首里城地下に司令部を置き、戦闘を指揮しました。激しい地上戦で敗戦必至の状況に追い込まれ、司令部は壕を爆破して撤退しますが、戦闘継続を命令。このため、住民多数が避難していた沖縄本島南部は軍民混在の戦場と化し、
戦没者・戦傷病者が激増しました。
「軍隊は住民を守らない」。あるいは「人間が人間でなくなる」。これが沖縄戦の実相として、歴史の痛覚となりました。
一方で、戦後77年の時間が過ぎています。軍の視点による回想、記録はありますが、壕全体の動きの全容は未解明です。誰が、なぜ。そう問い続けなければならないでしょう。戦争は人災であるのに、責任の所在も時間の中に溶け込んであいまいになり、朽ち果ててしまうことにもなりかねません。
壕は「負の遺産」です。この「遺産」から史実を知るために私たちは保存と公開を求めています。同時に、アジア・太平洋戦争の最終局面であった沖縄戦の位置づけを明確にし、実相を継承する取り組みも重視します。多くの人々と共に<いくさ>のない時代を歩むために。
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